夜の街を歩く帰り道、ネオンの光がぼんやりと滲んで見えた。
仕事を終えたあと、疲れが体の奥まで染み込んでいるのがわかる。
電車の中でうつむく自分をガラスに映して、ふと思った。
「今日は、誰かに癒してもらいたい。」
そんな気持ちでスマートフォンを開き、
出張アロマのサイトを見つけた。
整ったデザインとやさしい色合いの写真。
「心と体を整える夜のリセット」
その言葉に惹かれて、予約ボタンを押した。
慌ただしい日常の中で見失っていた“静けさ”
仕事に追われる日々。
朝から終電近くまでPCの画面とにらめっこ。
気づけば、深呼吸すら忘れていた。
そんな自分を、どこか他人のように感じていた。
「誰かのために」は頑張れるのに、
「自分のために」は、いつも後回し。
そうやって過ごしてきた日常に、
少しだけ風穴を開けたくなったのだ。
静かな訪問、夜の始まり
チャイムが鳴り、時計を見ると約束の時間ぴったり。
玄関のドアを開けると、
穏やかな笑顔のセラピストが立っていた。
手には小さなアロマボックス。
その瞬間、外の喧騒がふっと遠くに感じられた。
部屋に入ると、
彼は静かにタオルを広げ、照明を落とした。
「今日はお疲れが強そうですね。リラックス系でいきましょうか。」
その言葉だけで、心がほどけていくようだった。
香りと温度が整えていく
選ばれた香りは、オレンジとサンダルウッドのブレンド。
温かみのある甘い香りが部屋いっぱいに広がる。
「では、始めますね。」
彼の手が背中に触れた瞬間、
全身からため息のように力が抜けていった。
指先の圧がゆっくりと体をなぞり、
心臓の鼓動と呼吸のリズムが整っていく。
“癒される”というより、“戻っていく”という感覚。
自分の中心に、もう一度帰ってくるようだった。
肩、背中、腰。
彼の手が動くたびに、体の奥の重さが少しずつ溶けていく。
香りの層が深まっていくたび、
頭の中の雑念が静かに消えていった。
沈黙の中のコミュニケーション
会話はほとんどなかった。
それでも、沈黙が気まずくない。
むしろ、その静けさが心地よい。
彼の動きひとつひとつが、言葉の代わりに“優しさ”を伝えていた。
「痛くないですか?」と一度だけ聞かれた。
小さく「大丈夫です」と答える。
その声を合図に、彼の手の動きがさらに柔らかくなる。
その一瞬に、信頼が生まれるのを感じた。
オイルが語る、今日という一日
アロマの香りが肌に馴染むたび、
「今日もよく頑張ったね」と、
誰かに言われているような気がした。
日中の会議、終わらないメール、
少し無理して笑っていた自分。
それらがオイルの中に溶けていくように感じた。
サンダルウッドの深い香りが部屋を包み、
呼吸がゆっくりと穏やかになる。
外ではまだ車の音が聞こえるけれど、
この部屋だけは時間が止まっているようだった。
終わりのあとに残る、静かな幸福
施術が終わったあと、
温かいハーブティーを手渡された。
「この香り、好きなんです。」
そう言うと、彼は静かにうなずいた。
「今日の香りは、“安心”のブレンドですから。」
その言葉に、小さく笑ってしまった。
確かに、今の自分には“安心”が足りていなかったのかもしれない。
体だけでなく、心までも包み込まれるような夜だった。
翌朝、光の中で感じる余韻
翌朝、カーテンの隙間から差し込む光。
まだオイルの香りが肌に残っている。
寝起きの体が軽く、鏡の中の表情も柔らかい。
「昨日、アロマをお願いしてよかった。」
心の中でそうつぶやいた。
朝食をとりながら、ふと深呼吸する。
空気の中に残る香りが、
前の日の疲れを完全に置いていってくれる気がした。
最後に――自分を癒すという選択
アロマトリートメントを受けるようになってから、
仕事のリズムが少し変わった。
頑張りすぎる前に、立ち止まることを覚えた。
それが、心の余裕を生むことを知ったから。
癒しとは、特別なものではない。
「自分を大切に扱う時間」を持つこと。
誰かの手を通して、自分自身を思い出すこと。
その積み重ねが、明日の元気になる。
今日もまた、夜が来る。
部屋の明かりを落とし、
お気に入りの香りを少し焚いてみる。
仕事帰りの夜に訪れる、
あの静かな癒しの時間を思い出しながら。
出張アロマは、
私にとって“ご褒美”であり、
“心を整えるスイッチ”でもある。
明日も頑張るために、
今日の疲れを香りの中にそっと手放していく。

